糸島には、古墳時代の遺跡が多数ある。古墳は、その構造・型式によって、円墳・方墳・前方後円墳、その他に分類される。
旧糸島郡には、前方後円墳は40基が確認されている。県内200基あるなかで、その5分の1が糸島地方にある。
糸島で最も古い形式の古墳といわれている。内部構造は未調査であり、時代決定についても確認されていない。
三雲遺跡群の中に2基の前方後円墳がある。
端山古墳
雷山神籠石
背振山系の雷山(955メートル)の北斜面の中腹(400〜480メートル)にあり、列石と土塁と水門をもつ遺構。昭和7年に国指定史跡となった。
神籠石という呼び名は、久留米の高良山にあるものを神籠石と称したことから呼ぶようになった。神籠石は、現在、全国に9ヵ所が知られている。(福岡県6ヵ所、佐賀県2ヵ所、山口県1ヵ所)
神籠石については、大正末期から山城説と神域説が対立していたが、昭和38年武雄市おつぼ山神籠石の全面発掘によって
等から考古学上、山城であることに確定された。
他の神籠石はいずれも列石が、山頂を取り入れている。雷山の場合は、背面に急峻な雷山がそびえているので、それが自然の防壁となり、列石をつらねる必要がなかったものと思われる。
列石は一つの谷の上流(南)と下流(北)をさえぎる形で構築されている。真ん中を谷川が流れているので、水門を設け、谷川の水を下流に流している。列石は約70センチメートルの切石で、上面を平らにし、一列に連ねてある。東と西は崩れ消失している。南に240メートル北に80メートルほどが現存している。
雷山山系の大部分の水は、この水門を通り、不動滝となっている。現在にいたるも水門は決壊することなく、往来の姿を保っている。水門は自然石を加工した土台の上に、切り石を積み上げた石垣となっている。切り石の組み合わされた隙間には、割石を詰め込み、補強と同時に、隙間から水が湧き出るように工夫されている。
構築の年代については、記録は記紀をはじめ、いずれの文献にも出ていない。原田大六氏は、加工、巨石の運搬並列法などの技術面から古墳時代後期後半の頃の建造物としている。更に本式の朝鮮式山城の築城は天智天皇の665年大野城築造と日本書紀にあることから、大野城築造以前と考えられる。
katuya yahata殿からのご意見
神護石は太宰府を中心に配置されていると思われます。
南には女山、南東には杷木、北東には頴田、西には雷山、南西には帯隈とその延
長に一つ。
さらにもう一つは頴田と東西関係にあるはずです。
太宰府の北には大野城、南には基山と完全に幾何学的に配置されています。
さらに主な神社も太宰府を中心に配置され、金印ですら幾何学的に重要なポイン
トにあります。
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