前原の寺浦、川付、末永の道塚大地からは、石器時代の打製石器の出土が確認されている。およそ今から一万年前のものであり、まだ土器の使用がない時代であった。
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長い無土器時代のあとに、人々は土器を発明し、土器を活用する文化を生んだ。この頃の土器の表面には、縄目の紋様がつけられていることから、縄文式土器といい、この土器を使用した時代を縄文時代と呼んでいる。およそ8〜9000年間という、長い期間続いた。
土器は煮る・蒸す・炊く・炒めるという調理の他、飲料水・食料品の貯蔵に利用した。土器の発明は、縄文人にとっては画期的なものであり、人間生活の上に文明の灯をともしたともいえる。
昭和62年(1987年)町教委によって調査発掘され、押型文土器の破片が採取された。この土器片は、縄文時代早期(約7500年前)のもので、糸島地域では最も古い時期に当たる土器である。
わずは15センチ四方の土器であるが、縄文時代を知る手がかりとなる貴重な出土品である。
白糸から佐賀県に抜ける長野峠に近い、標高約550メートルの地点から、縄文時代後期(約3〜3500年前)の遺跡が発見されている。
黒曜石製の石鏃・安山岩製の石錐(キリとして穴をあける打製石器)・石匙(ナイフとして使用した打製石器)石皿(磨製石器で粒状のものを粉末にする道具)などである。これらの出土品から考えて、採集、狩猟生活をしていたことがうかがえる。
縄文時代前期から後期にかけて土器片が検出されている。土器の他に、黒曜石製の銛、鏃、獣骨製の漁具類、多数の巻貝・貝製の腕輪などが出土した。この地域の人は明らかに漁撈生活をしていたことを遺跡は物語っている。
縄文後期から晩期にかけての石器類・土器類・植物種子類などが大量に出土した。
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